”ぷろ”ライターを目指す為のブログ

普通に生きる、ということ。


コンビニ人間

 

「普通」でいられない人。


本気で生きようと思って、挑戦しては失敗して、成長すればするほど、

普通から離れていくのが、現代社会の構造だと思う。


そして、出る杭は打たれる世の中だ。


人とちょっと違うことを言ったり、行動すると、

同調圧力というものが生まれ、「正しく」あろうとする。


昨今のコロナ騒動における、マスクやお注射はわかりやすい例といえる。


マスクをつけることの是非

お注射をするべきか否か


といった問題に対して、自分の頭で考え、選択して行動していくという人がどれほどいるだろうか。

多くの人は、周りがしているから、そういうものだから・・といった感じで、周囲の作り出した「普通」に合わせて生きようとする。

 

 


〜白羽さんと、古倉さん〜

 

コンビニ人間に登場する2人は、「THE変人」というコンビ名でM1にでも出れるのではないかと感じさせる、変人コンビである。

対して努力もせず、社会に適応できないが故に世の中を見下しつつも、

欲望に素直に生きる中年男性。まるで猿。白羽さん。

「社会から、隠してくれ」

といって、古倉さんの家に居候し、餌を食べながら息をする生活。

普通だったら、「わけわかんない、さっさと出てって!」となるところだが、白羽さんを家に住まわせることで古倉さんにもメリットがある。


”男が家に住むことになった”


という中身のない事実が、アラサー(アラフォー?)女子としての”あるべき姿”と重なり、

大多数の人間からすると、それだけで安心するのだ。

だから、「よかった〜!」「この人も、私達と一緒なんだ。普通に恋愛して、結婚して・・って歳をとっていくんだ!」と言った感じで。

古倉さんとしては、ただただ、コンビニで働きたいだけなのだ。


社会のあるべき姿とか、

普通を押し付けられるのではなく、愚直に目の前の仕事、お客様と向き合い、息していたいだけなのに・・

社会は、結婚とか、就職とか、あれこれ要求してくる。それが、ただただ面倒だった。その面倒から逃れるために、白羽を住ませた。といった話。

 


 


気持ちがわからなくもないな、と感じた。

僕は古倉さんのように、感情に対する捉われがないわけではないので、

大多数側の気持ちもわかるのだが、生きていると、社会と交わっていると、


「勉強してくれよ」


と言いたくなる場面が、多い。


僕は今フリーターとして生計を立てつつ、借金も抱えながら暮らしているが、はたからみたら、


「いつまでもフリーターそして働いてるわけにはいかないんだよ?社会はそんな甘くないんだよ?」


みたく感じるところもあるだろう。


表面的な部分だけをみて判断されても、何も説得力を感じない。


僕がフリーターとして働いているのには、いくつかの複合的な理由が重なっている。

様々な要因が球面体的に交わりあって、今の働き方が生まれているのだ。


様々な要因をもとに、あらゆる可能性を考慮に入れた上で、

人生の道筋を決めていくのが、真っ当に生きるということではないだろうか。


だがそのためには、勉強しなくてはいけない。


そもそも勉強していなくては、どう生き方を選択していけば良いだろうか。

 

だから、僕に生き方のアドバイスをする人に対しては、

「ありがとうございます。」と、感謝しつつ、生き方として参考にしつつも、

全てを受け入れることは、はっきり言ってほとんどない。

的外れな意見をいちいち鵜呑みにしていては、体がいくつあっても足りないからだ。

 

 

 

集合的無意識(大多数の価値観集合体)に呑まれない生き方を目指している。


その意味で、古倉と白羽の生き方は、共感できるところが、ある、、、が


彼らは、とにかく極端なのだ。


特に白羽に関しては、反面教師としてみるしかない。

僕もフリーターとして、こうはなりたくないと、烈々に感じた。

 

だが、古倉の働き方は、神様に近いと感じた。

ある意味、我々人間の底に眠る魂が、求めている理想像とも言えるだろう。


自分の置かれている役割に対して、我を挟まず、無心で取り組む。

人に限らず、万物は常に、「存在意義」を見出したいと思っているのだろう。


モノだったら、モノとしての役割を発揮したいと思ってるし、

言わずもがな、ヒトはヒトとして、己の使命、天命を全うしたいと思っている。


だが、そこに自意識が挟まってくると、

自分が求められているもの、今本当にすべきことが見えなくなっていくものだ。


好きだから・・やる。

得意だから・・やるなど。


もちろん、好きなことをやるのは良いと思うし、得意を生かしていけば良いと思う。


だが、目の前に求められている仕事があるのに、そこから目を背けて我が道を進むのはどうだろうか?とも思う。


なので究極、我を挟まず、目の前のコトに対して自分の全力を尽くすことができるか否かで、その人のレベル感というものが決まってくるのかなと。


コンビニ、というフィールドにおいて求められる理想像を、

古倉は見事に体現していた。


僕もコンビニ店員をしているが、働き方としてまさに模範解答に感じた。

 

古倉は、コンビニ店員として働く限り、

どうしようもなく幸せなんじゃないか、と思う。

 

ある意味僕も、この領域を目指していると言える。

ファーストフード店でのアルバイトをしているが、まるでそのお店と一体になるかのように、のめり込んで働くことができれば・・!と思うようになった。

 

傑作でした。ありがとうございます。