たかが人生、されど人生
たまにはいいですかね。
こうやって、スマホ片手にカタカタとエッセイ書くのも。目的?そんなものありません。
ただ、書く。
それがきっと、"書く"の本質でしょう。
外は雨が降っていて、気づいたら夏が終わったと思ったら、気づいたら秋が終わりそうになる、そんな時期です。いやぁ、トキノナガレというものは、はやいはやい。
あ、そういえば
つい先々週くらいに、"あの団体"の中にあるとあるコミュニティのお茶会に行きまして。
6人くらいのチームになって、お互いの近況報告や、今後の活動の指針を確かめ合ったのですが
その中で、僕のめちゃくちゃ嫌な、逃げたい、避けたいテーマを
突きつけられました。まぁ正確には、諭されたって感じです。
"慎め"
あらゆる方面から、言われてることです。
簡単に解釈すると
ないものではなく
あるものに目を向けろ
というものなのですが、これはもう人生のテーマもいっても何ら違和感のない
壮大かつ強靭なテーマです。むずいむずい。
マサラタウンを飛び出して、いきなりチャンピオンロードに入っちゃった、ヤベェやべえ、、しかも逃げられねえ!みたいな難易度です。
(あんまりよくわからないですね、はい。)
とかくぼくは、ないものねだりな人生を送っているわけです。
学生時代からそうです。いない彼女を欲しがったり、ない力を得ようとしたり
社会人になってからも、ないお金を稼ごうとしたり、ない知名度に憧れたり、、
ないものを求めて、突き進んでる瞬間は
頭に血が上って、自分で言うのもアレですが、結構なパワーを出せます。
勢いでいったら、中々良い線いくんじゃないでしょうか。
でもね、そうやってないものを求めよう求めようとしていると
ついつい目の前の人の思いとか、自分の本来やるべきこととか、
何より、感謝を忘れてしまいます。
僕がこうして生きているのも、お天道様、守護霊様が見守って下さっているからだし
仕事できているのも、店長やマネージャー、あの団体のラーメンやパンやコーヒーがあるおかげだし
豊かに暮らせるのも、たくさんのモノに囲まれているおかげだし
まぁなんとか幸せにやっていけてるのも
おかあさんやおとうさんの支えがあるおかげだし
自分一人で完結してることなんて
いっちゃえば、ひとつもない。
そこに対する、徹底的な自覚を持つことが
僕の今のテーマやなぁあって諭されました。
慎みます。。。
10月に入ってから結構色々変わってて
今までより、足元を見ることが多くなりました。
これは僕に限ったことではないのかもしれませんが、
ついつい人って、「本番」にばかり目がいってしまいます。
大学受験とか良い例ですよね。
受験当日に、最大限パフォーマンスを発揮できるように、毎日勉強のお手伝いをする。塾のお役目って、それだと思います。
ですが、僕はそこに落とし穴があると思ってて
「そもそも、なんで受験をするのか?」
の部分に、その人の「準備」が込められてるわけですよ。
その人自身の、ストーリー。どんな終着点でしめたいのか?どんな物語を描きたいのか?
そこの部分を、ちゃんと考えてないと、
ただ、勉強して、ただ、受験して、ただ、受かって、、みたいな感じで、、、
受験が人生の中でどういう役割を発揮するのか?が腑に落ちないまま、終えてしまうと思うんです。
腑に落ちないまま終わってしまうと、
受験を通じてえた教訓が、次にちゃんと活かせなかったりする。非常にもったいないですね。
そして、
受験が終わったら、ちゃんと受験を振り返って
「後片付け」する時間が必要でしょう。
次にまた新しいスタートダッシュを切るために、
いらぬ参考書を捨てたりとか、
蓄積されたいらぬこだわりを手放したりとか。
特に僕は受験時代、結構頑張ったおかげでちゃんと成果が出たわけですが
同時に、「なが〜〜い天狗鼻」と、「真っ黒で強い心」も手にしてしまったので
それにはいまでも悩まされています。さっさと手放せばよかったのに。
そんな感じで、物事には
本番以外にも、準備や後片付けがあると思われるのですが
最近は積極的に、後片付けをやってます。
特に皿洗い!これはもー大事ね。
んま、そんな感じで
ようは何が言いたかったかというと
わりとしあわせにやってます、ということです。
では。